樹木の伐採をしました
どうしても、本堂の保存や安全を優先しなければならず、境内の大きな樹木を切りました。
本堂を火事から守る為に植えられた木々である事は承知ですが、今ではその効果よりも、本堂の屋根の傷みが激しくなってしまうとか、強風の後、太さ7センチ長さ2メートルほどの枝が散乱し、もし人や車などに当たってしまったら・・という危険や損害の方が上回ってしまっていたからです。
境内にいる人や物がけがや損傷をすることは言うまでもなくいけませんし、傷んでしまってから寺を修復するとなると何億円もかかるそうで、わたしにはそのお金を集める力はありませんでした。
皆にとって身近な存在だった樹木を伐採するのは、長年一緒にいた家族を失うかのようにつらい事でしたが、安全第一と本堂保存の為に行いました。
伐採は必要最小限に留めましたが、それでも、伐採が終わると、いかにこの木々に守られていたのかを実感します。
木々は、根を張って地面をつかみ、安定した大地を作ってくれていました。
全方向に腕を伸ばし、日陰を作り、雨風をしのぎ、生き物の休める場所、生きる場所を作ってくれていました。
木が無くなると風が容赦なく当たり、直射日光が降り注ぎ、寺の苔が減ってしまいました。
このままだと無くなってしまうのではないか?と心配になり、苔を保護しようと、作業のために剥がれてしまってひっくり返っている苔などを拾って来ては、浅い苔用の鉢にうつし、水やりをしていました。
すると、アミガサタケを発見。
子供の頃は、ありとあらゆるキノコが次々と姿を見せてくれたり、小さな野の草や小さな昆虫など、自然の命から沢山の喜びと発見を頂いていたものです。
今になって思う事は、あの時自然と触れ合う事で、生きる力を宇宙の全てから、降り注がれるように頂いていたのだろうという事です。
最近はキノコが出現する環境も失われてしまって来ました。
キノコが生える庭は、生きている庭です。
ある園芸家など、わざわざ森の落ち葉を貰ってきて、庭にキノコが生えるように努力しています。
キノコも、苔も、生態系にとって、とても大切なもので、気の遠くなるような膨大な数の微生物を育み、私たちの環境を整えてくれています。
なにか人工的な科学物で代替する事が出来たとしても、出来れば天然のその土地のものを使うことが望ましいと思います。
それはこの土地にはこの土地だけの歴史とオリジナルの土や葉っぱ、微生物などの特性、割合とがあるからです。
地球上の全ての緯度と経度において、全てが唯一無二の地点であり、そこに存在するものも同様です。
なによりも、人工物になくて天然のものにある、最大のものは、より純度の高い生命なのではないかなと思います。(人工物にも命はあると感じます)
わたしは、酸素の一粒さえ、作ることが出来ない。
そして、わたしは酸素を吸わずに過ごしたことはまだ一度もない。
どんなに辛い状況にあっても、ずっとずっと、わたしは、数えきれないほど多くの、自然の恩恵の腕の中で育まれていたのだな・・
たとえ一人ぼっちの様に感じていた時でさえ、太陽がわたしにだけ当たらないことや、風が私を避けて通りすぎて行く事などありませんでした。
最近では、この、絶え間なく、そして惜しみなく、与え尽くし続けて下さっている自然の恩恵を、阿弥陀如来様なのではないかと感じるようになりました。
どんなに言い尽くしても感謝がいいたりません。
だから、感謝と、恩返しがしたくて、少しでも多くの自然が残りますようにと野草や苔などの保護を個人的に行なっています。
イチョウやカシのように大きくなる木は、限定した本数しか育てられなくても、手入れでき、利用者の安全を確保できる範囲で、自然を増やしたいと思っています。
小鳥や虫が増えるように。
木があると木陰を作るだけでなく、根を張って地盤を頑丈にし水を集め保持してくれます。それから生き物の住処になってくれます。木の恩恵は計り知れないのです。
豆知識ですが、低木のカテゴリーに入る、たとえばツツジなども、本当に自然の豊かな場所では、20メートルほどに育つのだそうです。
わたしはたまたま自然樹形(人間が一才手を入れない)の木を見たことがあります。そこは十分に広かったので、その木は伸び伸びとしていました。
その生き生きした姿に圧倒されました。
人間は、植物を育てるというより、邪魔をしないだけで良いんだと、その時感じました。
キノコ、小鳥、ミミズ、微生物、、
何一つかけても、わたしは1日さえ生きることができませんでした。
今ここにいません。
お釈迦さまによって起こされた仏教がインドから七高僧様を経て、日本にまで届き聖徳大使様へ、そして法然上人から親鸞聖人へと受け継がれ・・
本山を頼りにした門徒や僧によって各地で開かれた寺、寺を受け継ぐ代々の住職と門徒のご先祖様達・・・
一つでも抜けていたら今は無いのだと思うと気の遠くなるような畏敬の念と感謝の気持ちが湧いてきます。
今回は安全第一を優先し、樹齢100年以上の樹木の伐採をせねばなりませんでしたが
わたしを生かし、育んでくださっている植物が生き生きしてるのを見ると嬉しくて、少しでも自然のために良いことをしたいと思っています。
同様に、仏教についても、新米僧侶で勉強不足の私ですが、真の御教えに触れれば触れるほど、もっと知りたくなるし、知れば知るほど、いかに自分が仏教の御教えによって育まれ、守られていたのかと、目の当たりにする日々です。
言葉に表せないほどありがたく、喜びに満ち溢れていくようです。
忍精寺は広い土地を持っています。その土地を安全にし、綺麗にし、お墓参りの時だけでなく、皆がくつろげる庭園のようにするつもりです。
だれもがここにきて、癒される。
静かな気持ちで、親鸞聖人の御教えに触れて、心が喜んでゆく。
阿弥陀様をより身近に感じ、心に染み渡らせられる場所・・・そんなお寺にしたいです。
それが私の幸せだからです。
そのために毎日のお勤めと、日々の勉強に励んでおります。
少しでも誰かの気持ちが浮かばれ温まります様に、、私にできることは全て行って参ります。
伐採の影響で、来なくなったらどうしようと心配していた、毎年子育てに寺に来るアオバズクが今年も来てくれて安心しています。
今回、大規模な伐採を、住職のわがままに付き合い、自然を残す工夫に賛同して頂きながら、ほとんど無給の実費のみにて行って下さった業者様の御心に、心より感謝申し上げます。
コロナの影響で色々と大変なこともありますが、どうかご自愛頂けますように
南無阿弥陀仏
忍精寺 住職 釋 明徳
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