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忍精寺の歴史

 

1829年

江戸期

飛騨守愛清開山(第11世大田原藩主)、導琳和尚開基。
現在の場所、大田原市新富町三丁目にて、開基された記録が歴史書に記載されている。大田原市在住の者で他の寺院に属していなかった人や、福島から移住してきたものたちが檀信徒の最初の基礎となった可能性が伺えるが、現在調査中。
1868~1869

江戸末期

戊辰戦争の舞台になり、多数の死者が出た。境内の地蔵は戊辰戦争の供養の為に創られたと言われている。富山や鳥取等遠隔地から開拓にやってきた敬虔な信者が檀家に加わる。
1890頃
明治
更にその後1890年代以降には明治政府によって開墾に来た信者(加治屋地区の御檀家様のご先祖)も檀信徒に加わる。
1911年
大正時代 
現在使われている本堂が檀信徒の協力によって建立された。参道の門は、大田原城より譲り受けた門で、現存する唯一のものである。
1914年~1945年

世界大戦中

 

世界大戦中には、近くに川もあり馬の水飲み場にもなることから、寺は兵隊の宿舎として利用された。境内には戦没者供養塔が祭られている。
1945年~

戦後【昭和時代】

戦後、昭和時代には御檀家様が熱心に通われ境内では出店も出るほど賑わった
現在 経済や時代の変化と共に規模は縮小したものの、現在でも熱心な檀信徒が多く、住職と檀信徒が親しく交流し、年間を通し様々な行事を開き賑わっている。住職も現代に合わせて創意工夫をし、クラシックコンサート、詐欺防犯対策講座など、檀家以外の地域の人々も楽しめて、実際に役立つイベント等を開いている。元旦、春秋彼岸、御花まつり、お盆、報恩講などの行事の際には、自然豊かな境内に、心豊かなご信心の生活を生きている檀信徒によって賑わう。